1941年の夏、私の祖父は生まれ育ったカナダを離れて日本に引っ越しました。
両親や兄弟と共に船で向かった初めての「祖国」日本は、
きっと、とっても遠い国だったのだろうと思います。
バンクーバーを出る前に、祖父は幼馴染のジョージさんに
「Words Fail Me」(言葉にならない)というメッセージを残しました。
それから74年の月日が流れ、私はカナダで美術制作をする機会に恵まれました。
亡き祖父の生まれた場所を訪ね、日系人の歴史を知り、
毎日の何気ない瞬間をたくさんの人と共有する中で、
それまでは記憶の片隅にしか存在しなかった祖父のことを
この一年間でずいぶんと理解したような気がします。
混乱する時代の中でカナダを去ることになり、
「Words Fail Me」と書き記した
祖父の気持ちはどんなものだっただろうと思います。
「別れ際にノートに何か書いてと言ったら、ケイはしばらく悩んでこの言葉を書いてたよ」と
ジョージさんは教えてくれました。
「今、私とジョージさんが出会ってるって知ったら、おじいちゃんどう思うかな」
「縁だねぇ」
トロントの日系文化会館のベンチに座りながらジョージさんと話をしていたとき、
そんな会話がありました。
英語が一言もわからないまま、日本の村からカナダに移住した一世カナダ人がいて、
カナダの学校で学び、放課後には日本語学校に通って両国の間をつなごうとした二世がいて、
戦争の時には、皆が敵の言葉を使うことを禁止され、
完璧な英語が話せれば日本語は使わなくていいのだ、と言われた三世がいて、
そして、また自分のルーツを知りたいと考え始めた四世と出会う中で、
言葉とは何か、アイデンティティーとは何かということをたくさん考えました。
「ケイがいつかカナダに遊びに来たら、ナイアガラの滝にも連れて行こうと思ってたんだよ」
この世には、もう記憶の中にしか存在しない場所や思い出があって、
でも、それがあることが味わい深い人生を作り上げているのかもしれません。
美術というのは、「縁だねぇ」としか言いようのないことも、
切なくてしかたないことも、うれしくてたまらないことも、
全てが映し出せる、不思議な仕組みだと思います。
カナダで過ごした私の一年間と、祖父の人生と、日系人の歩みが混ざり込んだ写真が
皆様の記憶の中の風景とも重なり合って、これからの歩みに続いて行けばいいなと思っています。
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