TAMI YANAGAWA 柳川たみ
WOMEN STUDIES 女性研究
07.02 - 07.12
女性であるという認識への、戸惑いというものは、ぼんやりとではあるが昔から感じていた。
まず、自分の性器というものは、女性の場合は中に隠れていてほぼ見ることができない。そして、手鏡でそれを見ようとすること、また手で触ることへの恐怖があった。
思春期になるにしたがい、ますます自分が女性であるということへの意識が敏感になっていった。一方、読んでいる本の作家はほぼ男性作家だった。女性としてみられたいという意識と、だが尊敬する作家はすべて男性であり、自分も男性のように物事を考え表現したい、という希望が、今思うと、矛盾を起こしたことも、当時の苦しみのひとつの要因だったのかもしれない。
大学の哲学科へ進み、勉強をしようとしたが、哲学に挫折した。当時、看護学校に通うバイト仲間の女の子が言った、哲学は女には合っていない、看護は女に合っていると思う、という言葉とその大人びた賢い女の表情と、その時の自分が男でも女でもない者であるような恥ずかしさを感じた事を強く覚えている。
私の女性研究作品は、美学校の「内海信彦絵画表現研究室」に学んでいた時、2010年に「万古曼荼羅」という、まん拓でつくった曼荼羅の作品を作ったことから始まっている。奇しくも同じ年に、ろくでなし子氏がまん拓の作品を作り始めている。
ただし、ろくでなし子氏の作品が、女性器の日常化を目指すのに対して、私はそのような日常化には違和感を感じる。人間がそこから出てくる場所である女性器は、生死の境であると考える、死は、また誕生は日常なのだろうか、それを日常的なものと同じとは考えることができない。
その後、「女帝時代」という、女の権力者とウツボを組み合わせた作品のシリーズを制作し、彦坂尚嘉先生の励ましを受け、女帝の作品を作りつづけた。その中で、あらためて自分が女性であるという問題を正面から作品の主題とし、女性であることの違和感の研究は自分にとって重要なものになっていった。
ジェンダー平等の主張は素晴らしいことだが、違和感を感じる。
主張している理想と、現実が離れていると感じていた。
その中で、リュス・イリガライの著作『ひとつではない女の性』に出会う。
この本のタイトルを私なりに解釈すると、フロイトの「ペニス羨望」という概念からもわかるように、そもそも男と女、というように、二つの性が存在しているのでさえなく、女性的なものは男性の欠落としてとらえられてきた。そのことを知り、あらためて驚きとともに納得を感じた。
だが、女性としては、そうではない、性は男性という性だけではなく、女性という性があるのだ、という宣言で、この本のタイトルはあるのだと思う。
世界が生まれて長い間、この世界にいるのは男性だけであり、女性はその陰である、という事実認識、それが、ジェンダー平等の早急で機械的な平等意識には欠けていると感じる。それが違和感なのであった。イリガライは、女性にとっては残酷な真実をまずはっきりと観ることから始めており、私はその態度に共感を持ち、イリガライの言葉に触発されて、女性とは何かということを考え、個展のタイトルを女性研究とした。今回の研究発表ののちにも、研究はこれからも継続していく予定である。
柳川 たみ
【略歴】
1971年 東京生まれ。三重県で育つ。
1997年 私立南山大学文学部哲学科 卒業
2007年~2011年 美学校 内海信彦絵画表現研究室で学ぶ
2014年~ シェアスタジオ カタ/コンベ メンバーとなる
2015年~ 彦坂塾で学ぶ
現在に至る
【展示】
2008~2011年 『美学校 内海信彦絵画表現研究室 中間発表展』(グループ展)文房堂
2011年 『日本コラージュ・2011正月 Part 3』(グループ展)ギャラリイK
2015年 『リヤカー展』(グループ展)江東区辰巳
『”KITAJUMA/KOSUKE”♯10~100年転送』
『”KITAJUMA/KOSUKE”♯11~台風のくれたテーブルにつけ』
『しゃがみ弱パンチ美術館「52Hz」』(グループ展)カタ/コンベ
『きたいぶんしギャラリー3000』(ネットギャラリー)
『逆三角関係展Vol.5』(三人展) 竹林閣
2016年 『女帝時代』(個展) アートスペースゼロ
『逆三角関係展Vol.26』『逆三角関係展Vol.31』(三人展) 竹林閣
『第一回~第五回 切断芸術展』(グループ展) 竹林閣
2017年 『第6回 都美セレクショングループ展 切断芸術運動という
シミュレーション・アート展』(グループ展) 東京都美術館
2020年 『切断芸術展』(グループ展) 中野ZERO
『Bye Bye 2020!』(グループ展) Launch Pad Gallery