物事は何かに覆い隠されていた方が、その本質が見えやすい。
フェイクニュースや情報操作は一次資料よりも遥かに深い理解を与えてくれる。しかし覆い隠されたものに対して我々が知覚するのは「嘘」ではなく「虚」である。これまで「客観」とされてきたものは、自身という一次資料からどのように編集されてきたのだろうか。
建築史家コーリン・ロウの有名な概念の一つに「Phenomenal Transparency」というものがある。実際には透けていない空間の要素が、レイヤー状に巧妙に重なり合うことによって知覚される透明性のことであるが、日本語ではいみじくもこれが「虚の透明性」と訳されている。
答えを求められない「解なし」の事象に、形を与えて先に進んでいくためには、もしかしたら「虚」が必要なのかもしれない。
気が付けば自身の顔まで覆い隠すことになってしまった今、本音と建前が並んで歩いているようなこの愛おしい都市の片隅に、その覆い隠されたそれぞれの「解」のインストールを試みる。